僥倖(ぎょうこう)

おはようございます。

昨日は一日中シトシトと雨が降っており肌寒いくらいでした、秋の雨は物思いに耽るにはもってこいです、冷たくもなくちょうど良い涼しさ、研修生も雨の中帰り、入れ替わり新しい研修生が入って来ました。
自然のほどよい試練は人にとってはいいものです。自然の試練はどこにも文句の言いようがないからです、自然の試練を乗り越えますと人間関係の試練も自然を相手にするが如くに対処出来るようになるのです「窮すれば通ず」という語がある如く、自然の厳しさの解決を図るには「人の所為にせず」知恵を絞り出すことであり、人間関係も自然と考えて対処する考えも時には大事です。
飲酒運転の事故に耳目を覆いたくなるようなことばかりです、私も運転をします、誰しもヒヤッとした思いは体験しているでしょう。
飲酒運転で事故を起す人は必ずといって良いほど過去に何度も飲酒運転をしています、その時たまたま検問にかからず事故も起こさなかった、そのことを難しい言葉ですが「僥倖(ぎょうこう)」といいます、たまたま「ラッキー」だったに過ぎないのです、このような体験をした後の行動が大事になのです。
ラッキーに過ぎなかったのだと「戒め反省する」こと、そして次から「飲んだら乗らない、飲むなら乗るな」を徹底することです。
このことは何事にでも通じることで「韓非子(かんぴし)」の中にこのような話があります。「守株(しゅしょう)」という話です。
ある日お百姓さんが畑を耕しに来て、その畑は開墾したとき林であったため、大きな切り株をどうしても掘り返すことができなかったのです、それで畑に切り株がありました。農作業をしようとした時に「兔が飛び出てきてお百姓さんを見て驚き切り株に当たって倒れたのです」そこでその兔をお百姓さんが捕まえた、これは幸運だ、と考えたお百姓さんは次の日から仕事もせず、切り株だけを見ていてとうとう破滅した、という比喩です。
人生「僥倖・ラッキー」なことは多々あるものです、時に真実を観る心と目を持たないと何の努力もせず、反省もせず、準備もせずに堕落するだけとなるのです。
私たちは多くの人々のお陰で「ラッキー」に日々を送っております、お陰です。それで事足れりとして現実から学ぶことをせずにおれば、自堕落になり何もかも失うのです。
幸も不幸もすべて「自分の行動が招く」のです、自然を相手にするように人の所為にすることなく自身を戒めていくことが大事なのです。
悪いことをするときは誰しも「これくらいと思って」大きな過ちとなることを知るべきです。また良いことでも人から見れば「この程度」と思われるかも知れませんが「積小為大(せきしょういだい)」小から大になることを知りコツコツとすることです。いずれにしても「これくらい」と考え人生をなめてかかることをしてはならないのです。
自然を敬い、それ以上に人を敬うことでしょう。
僥倖やラッキーを自分の力と錯覚してはなりません、錯覚するから破滅するのです。己を破滅に導く人は「過信」している人がほとんどです。
今夜は「にんげん学」一宮講座です、東海地区の皆さんお友達を誘ってご参加下さい、会場でお待ち致しております。

世界平和をお祈り致しましょう。ありがとう・心に華を咲かそう。       合掌