寂然不動

おはようございます。

世相が騒然としていますが、私たちにはどうすることも出来ないことがあり、また目指さねばならぬことのあることを知らねばなりません。
「どうすることもできない」ことを知らねば騒音に心を乱され、また「志、目指すものを持たねば」これまた人生を乱されるという事です。
自然に四季があるように社会の動向にも四季があるのです。
「寂然不動(じゃくねんふどう)」。
寂の意味は二通り考えられ一つは「円寂(えんじゃく)」、自然世界は私たち人間はじめ万物の一切の存在はみなそれぞれの特性を十分に発揮し、独立自存しながら、しかも全体として大調和を構成しているというのが一つ。
しかしここで言わんとする寂然不動は、すこし違って、物音一つせず、ひっそりとし、又表面がいかに波立とうとも微動だにしない深海の水のように不動だ、という意味であります。
私たちの実人生の世界では騒音があり、喧噪があり、人々は絶えず活動し右往左往しているのが現状であります。自然界では木は風にゆらぎ水は不断に流れ、動きがあるそれなのに寂然不動とは、いったいどうしたことでありましょうか、
一言で言いますと、これは悟りの眼をもって自然と人生とを眺めた場合の消息です。
悟りの眼をもって眺めれば、木の葉がゆらぎ、流れがさまざまに波立つままに寂然不動なのです。
悟りの耳を持って聞けば鳥の声も、自動車の騒音も景気不景気も寂静そのものであるのです。
もし迷いの境涯におり、どうすることも出来ないことを知らず心を騒がせ、また志をも持たず右往左往しておれば、どのような深山幽谷に逃れようとも喧噪を免れ得ないでありましょう。悟っておればどんな喧噪の往来の中でも、深山におるのと同じく静閑寂静なのであります。
道理を知り覚悟をして学びの中に在ればどんなに社会が騒然としていても心は常に静かであり、不動の境地にあることが出来るのです。
まさに今は冬、自然界は寂然として調和し根を張ることにいそしんでいるのです。私たちも自然界の一分、この世相を寂然としてうけとめ天命・使命を全うすることに「無心に心を砕くことこそ」今はあるべきなのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌