多くを望まない

おはようございます。

新入社員の皆様にばかりではなく、多くの皆さんに「人生に多くを望まない」こととお話します。一昨日の「にんげん学」京都講座「老子を読む」でもありましたが。「ゴールをきめたら、道を決めない、ゴールはきまっているのだから、この「道でなければと固定観念にとらわれるな」「争いの元となるから」です。なぜなら障害は必ず起きるからです。時に「引くか、回るか一休みするか」です。
端的に言いますと「覚悟してウダウダ考えず目の前の事に無心に取り組む」ということです。無心にとりくむということは、「評価されたい」「やったことで褒められたい」などという考えは持たないことです。
仕事は「やって当たり前」です。人様や先輩は優しいですから「労(いたわ)りの言葉をかけて下さい」ます。労りの心を知らず、「労(いたわ)られることが当たり前」「優しくして貰うのが当たり前」となってはいけません。それは「甘え」です。人様に情をかけるのは善しとしても「情けをかけて貰わなければ」とは思わないことです。
無心にはなかなかなれないかもしれませんが、「過去の過ちにくよくよせず」「未来に不安を懐(いだ)かず」「日々目の前のすべきことを淡々と行っていけば」「身体が喜びを覚え、三昧の境地に入り、無の境地に至る」のです。
愉快で楽しい日々を送るのに、「欲はいりません」。「智慧があればいい」のです。何を智慧というのか「悩む結果が生じたのは欲からだ、と明確に知ること」が「智慧」です。
こうすれば評価される、お金が入る、地位が上がるというような、外の世界に自分の心が奪われるのは智慧ではないのです。
目の前の仕事を忠実に行い、評価されれば、「仕事をいただいたから「できたのだ」と感謝」、失敗したら「気づきを与えていただいたと感謝する」ことが幸せになる智慧なのです。それでこそ、皆さんが考えているような「大きなステージ、活躍する舞台が自然と目の前に用意される」のです。
「多くを望まない人生」であれば、自然といろいろなチャンスが目の前に現れます。今日は少し間を置いて考えてみましょう。多くを望んでいないかどうかを?。
明晩は「にんげん学」神戸講座「論語を読む」です。神戸地区の皆さん会場でお会いしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
※私たちは熊本地震の収束を祈り、支援をお手伝いします。
すっかり若葉の光背になりました。

いろいろな花が咲いています。




今朝の風景