素養を積む

おはようございます。

 毎日「読経」「仏教聖典読誦」を日課としています。それと「聖賢の書の心学」も日課です。日課は心を自然に修養、練り上げてくれます。技術のように進化上達が目に見えるものではありません、だから日課として日々の読誦が大切です。
 人間性はその人を見ますと、善し悪しがわかるものだから不思議です。何故わかるかといいますとそれは私たちの「素養(そよう)」が行動の中に見えてくるからです。日々の修養はライフワークともいえます。
 「素養」の意味は「平素の修養。かねてから学びおぼえたこと。かねて養った力」のこと、「人生をこのようにありたい。生きたい」ということです。
 普段の「日常の練習や学習によって身につけた知識や教養、たしなみ・後天的に学んだ技能を表します」。日頃の教育や自身の努力などから教養や技芸を一通り習得することなので、生まれ持ったものではなく、「生まれた後に得たもの」ということです。私はどのような状況の中でもポストにベストです。
 言動は、その人の内面性を隠しきれません。専門的な知識、技術であれ、人間性を豊かにすることであれ、やはり、習慣が第二の天性、日々の素養をどのような心づもりでくり返しているかが大切です。普段から心がけて身につけた知識や技能を表す場合に「素養」と言います。
 素養を養うということは、進化することを指しています。日新する、日々に新たにすることです。思考に凝り固まってはいけません、固定観念になってはいけません。日々日課とする意義がここにあるのです。
 素のついた言葉が代表的な言葉で二つあります。「素質と素養」です。この二つの違いは、「素養」・・・日頃からの練習や努力によって身につけた知識やたしなみ 。「素質」・・・生まれつき持っている性質で、将来的にそれを発揮することが期待できる能力 です。
 素質がいくらあったとしても、やはり日常の修練がものをいうことは間違いがありません。
 先日も『礼記(学記)』にある「玉琢かざれば器を成さず、人学ばざれば道を知らず」を書きました。意は「どんなにすばらしい才能(玉は宝石)があったとしても、努力を積み重ねなければ立派な人物になることはできない。玉は磨いてこそ、実際に使うことができる器になる。
 人間も学んでこそ、人間のあるべき道を知ることことができる」。
 くり返す要がここにあります。何才になっても学ぶ意欲が大事だということです。口で日進月歩といいながら、己を高めないようでは戯論と言われてもしかたがないのです(戯論= 無意味で無益な言論のこと。 愛着心から行う言論であるところの愛論と,偏見より行う言論であるところの見論とがある。 仏教では形而上学的な議論は戯論に属するとして、形而上で学んだ教え論理は実践するためのものであると戒め教える)。
 「水は流れるべきところへ流れるのです」。日々謙虚に修養した人の本へ人は集まるのです。生涯をかけて己を修める楽しみこそ、等身大の幸福感でしょう。今夜は「にんげん学」小倉講座「老子を読む」です。知識技術が大切だからこそ、日々心豊かに自己革新を図らなければ世の役に立てることはないのです。午後6時半「小倉商工会館」でお待ち申しております。
 皆さん、日々修養、日々修練です。今日も楽しく過ごしましょう。


 
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
☆「仕事運が良くなる」日々の四つの実践徳目:慈悲の心を持つ(思いやりは勇気)・質素倹約(物心両面のゆとりがなければ心貧しくなる)・謙虚な心(争いを生まない)・一隅を照らす(ポストにベスト)。 合掌
※どのようなことでもご相談下さい。電話:0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp 相談する勇気が幸運の扉をノックします。
☆ふるさとから秋の香り「ラ・フランス」とどきました。

☆下関・愛宕寺様の玄関に先日24日おまいりくださいましたMさんが「紫つゆくさ」をお持ち下さいました、Mさんありがとうございます。