忠義

おはようございます。

今朝は兵庫県赤穂です、午前中某社の研修で座禅の指導と法話のために昨日の夕方入りました。
赤穂といいますとご存知の「忠臣蔵赤穂義士の話」です。大石内蔵助を筆頭として主君、浅野内匠頭の仇討ちをするという話。
「忠義」。
吉良上野介に意地悪をされた浅野内匠頭江戸城松の廊下で刃傷に至ったということですが、浅野内匠頭の主君としての資質云々は脇におきまして、時のルールは「ケンカ両成敗」でした。
このルールに従っての判断を仰いで大石は浅野家復興を嘆願していたのですが、それがならず、それで仇討ちを決行し成功したという話が忠臣蔵です。
この歴史的事件の良否はさておき、やはり「忠義」は大事です。
大石内蔵助以下が判定の片手落ちに非を唱え、義を貫いて「死を覚悟して決行した」ことで彼らを「義士と讃えた」のです。
忠とは「己に忠」であり、己に正直に生きることです。己に正直に生きるとはどのようなことでしょうか、簡単です、「安泰にありたい」というのが人情です。
安泰であるために日常対人関係がどうあるかが大事だというのが「義」なのです。義とは「論理」です。論理を「義と置き換えたとき」は「人のために用いるのが義、論理」であるのです。
大石達は義を藩のため、主君のためとしたのです、そしてルールがケンカ両成敗にもかかわらず主君だけ切腹、そのうえ藩は取りつぶし、そして家の復興はならず、
それでは「義が通らぬ」ということで、仇討ち決行となったのです。
「己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ。」と孔子は仁を教えております。自分が嫌なことだと思うことは「するな」それが仁だよ、思いやりだよと言うことです。誰しも嫌なことはされたくないのが人情でしょう。
また自分が欲していることを「施せ」とも教えているのです。
このような日常の在り方を個々人がなしていけば良い社会が実現すると信じます。皆さん生き様は大事ですよ、生き様は損得を超えてこそ生き様です。義士のように死が分かっていても行動できるように義を貫きたいものです。
明日は「にんげん学」一宮講座、愛知地区の皆さん会場でお会いいたしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌