自戒自律

おはようございます。

昨日は大寒でしたが、一昨日と違って風もなく以外と穏やかな一日でしたが今日から又冷え込みがきつくなるようですのでお大事にしてください。
私は比叡山下山時から書き物を頼まれたり、書き物をしたりしたとき、「沙門最誠(しゃもんさいじょう)」と揮毫(きごう)しています。最近は「沙門最誠」又は「心華寺最誠」と書きます。沙門とは「仏の子」つまり人間すべてであります。
「戒深ければ、智慧もまた深し」の言葉は釈尊がのこしました名言。「智慧と戒とをもつは沙門なり。智慧あれば戒あり、戒深ければ、智慧もまた深し」と。
この釈尊の言葉に感動、若い頃大切にしていました。いつしか失念、堕落してしまったようです。釈尊は、「多くの人びとの才腕(さいわん、手腕)は最後には欠点になってしまう。その欠点は老いるにつれて、ますます明らかになる」といいます。気をつけなければと再び心しています、今年の指針「更改進展(こうかいしんてん)の成熟となすべし」を確かにするためにも。
智恵(知識)だけで生きていきますと、人間は「驕慢(きょうまん。おごりたかぶって相手をあなどり,勝手気ままにふるまう)になるのです」。その驕慢を是正するのは自分自身の「心の約束」つまり「戒律」を持ち保つことです。
「戒」は人が決めたものです。その戒を素晴らしいとして、「己自身のものとして、守ろうと自ら決めること」を「律」といいます。二つを合わせて「戒律」というのです。いわゆる「自戒・自律」です。自戒・自律のない人間は、節操もなく、時と所を弁(わきま)えないような驕慢・傲慢(ごうまん)な人間と成り下がるのです。ですから小成はしても大成できない。化けの皮がはがれるのです。
人様が礼儀を弁えて接してくれていることを感じず、行儀が悪くなる、言いたいことをいい、酒に飲まれ、自堕落になってしまうのです。
若いとき、驕慢・傲慢な人間になってはいけないと釈尊の言葉に感動し、自戒・自律できる沙門であろうと一歩を踏み出したのです。最近昔の備忘録を読み直し、上のようなことを書いていたのを目にして、大いに反省しています。
今夜は「にんげん学」東京初講座「論語を読む」、「戒深ければ、智慧もまた深し」の言葉を、しっかりと噛みしめ上京します。東京地区の皆さん会場でお会いしましょう。今日も素晴らしい一日でありますよう。
閑話休題、今日はカレーライスの日だそうです。カレーが大好きですので書きました。カレーを食べてピリッとして「にんげん学」に向かいます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌