恥は一時、志は一生

おはようございます。

「にんげん学」京都講座「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。「天下水より柔弱(じゅうじゃく)なるはなし」。「柔弱の徳を学べ」という教え、徳とは「変えられない、変わらない才能」。私たち人間も水同様弱い存在。すべてに強い人など一人もいません。みな五十歩百歩、強いと錯覚して戦いを挑み、そして負ける、恥をかく、だから老子はその前に、「気づきなさい」「愚を犯しなさんな」と不争を説いたのです。百獣の王ライオンだっていつかは老いる。
「柔よく剛を制する」「水は石をも穿(うが)つ」「負けるが勝ち」という言葉は誰でも知っています。しかし、謙下不争(けんかふそう)、人にへりくだれる人は「多くはありません」。私たちは誰彼無く戦いを挑み反発心を抱くわけでないのです。自分の価値観で相手を見て戦いを挑んだり、反発を感じるのです。だから夢・志を持ちながらも愚かにも戦い挫折してしまうことになりかねません。
例え戦いに勝ったとしても恨みを残し、不安の種を一つ作ることに。謙虚になれ、争うなと水の徳を例に出して老子は語りかけます。私たち人間にも水の性質、徳が具わっているのだから、徳を発揮せよ、「上善は水の如し」。善の最善たるものは水だと老子は教えます。
韓信(かんしん)の股(また)くぐり」という話しがあります。「強い兵に喧嘩をふっかけられ、謝ったが、許されたければ股をくぐれといわれ、韓信は股をくぐったのです」。これなどは「謙下不争」を実践した話し。だからこそ「背水の陣」を敷き大勝利をあげるチャンスもめぐってきた。そして劉邦(りゅうほう)を皇帝にまでのし上げる大将軍にまでなったのです。「恥は一時、志は一生」。
ただし志を持って謙下不争、水の徳に学ばなければ、ただ頭を下げれば良いというわけではありません。ヘラヘラとしているだけでは良くないということです。それでは、いつまで経っても馬鹿にされるだけになってしまいかねないからです。
水はどんな器に入れられても、水に変わりはありません。私たちも器の大きな人間になるためにも、水の徳を確かにして、多くのことを受け入れて器を大きくすべきです。ポストにベストを生きる。
できる、できない、良い悪い、きれい汚いという己の価値観の両極に囚われず争わず、志を確かにしていれば、自然自分が求めるステージの上に上がることになるのです。
3月の京都講座は13日(月)。自然も私たちも少しずつ進化成長し、あるとき「ドンと花開く」のです。花が開くまで、散った後も学び続けることです。なぜか?宇宙は繰り返し。摂理・Taoに最も柔軟・柔弱になることです。
今日も一日を確かにして人様のお手伝いをして楽しく過ごしましょう。素晴らしい一日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆「洋食・ぼんじゅーる」さん、今年もよろしくお願いいたします。昨夜も美味しくいただきました。ごちそうさまでした。
和牛のサラダ、レタス添え、辛子マヨネーズ。

カキのクリームシチュー。

ハンバーグトマトソース煮。

和牛のミニステーキみぞれあんソース。

皆さんに誕生日のお祝いをしていただきました。ありがとうございます。