天子に囲まれての暮らし

おはようございます。
 昨日の早朝から周りは天子ばかりの暮らしです。いつも入院生活を送り思うことですが、天子に囲まれて暮らす生活もまんざらではなく、窓からの世界を見て想像を巡らすことも味わい深いものです。
 昨日は初体験のことばかり、今日も何が始まるのだろうと楽しみです。医療技術の進化には毎回驚かされます。それだけでも楽しくなり、身体の辛さが軽減されます。随縁(ずいえん)、教えとは縁から学ぶ喜びです。縁に従ってこそ広がる世界。
 お釈迦様の教えの素晴らしさ帰依の安心感、老子のTaoの生き方の安心感、孔子の忠恕、人間関係の在り方、どれをとっても学んでいて善かったと思っています。
 御仏の教えから造られた「鬼手仏心(きしゅぶっしん)」という言葉があります。鬼手菩薩心・仏心鬼手とも言われます。 鬼手は化物の手、また相手を驚かすような奇抜な手法をいい、相手を救うために、内心は慈悲にあふれているのだが、外見は手荒な手段をとることにいう行為の言葉です。
 私などもご相談の皆様に、このような手荒な修法を執るケースがございます。手荒な代表が「不動明王」様です。すべからく優しさだけでは世の中は確かな物は作られないのですから、このような事は誰でも知ってはいます、が、イザ体験や経験をしますと、その心理や如何に、ということです。どこかに吹っ飛んでいって空中分解してしまう、如何に実践で養うことが大事かです。
 もう少し、優しくしてくれれば良いのに、他に方法がないのか等々の、不満や不足です。相談や、治療をしていただきに来たことを忘れてしまう、自分のためにしていることを忘れてしまうのです。これでは悪果の一途。
 般若心経で教えるところに「顛倒夢想(てんどうむそう)」の心、真理、道理を知らず目の前に委ねている人がいるにもかかわらず、相談しているにもかかわらず、疑っていますと、すべて「逆さまに受け止める」という思考となることの愚を説いているのです。これでは、人の好意も何も分かったものではありません。
 歩々是道場(ぶぶぜどうじょう)、どこにいても、歩いていても楽しく自分を修めるのが日々、道場です。今日も楽しく養います。朝ご飯、何かな?と楽しみに待ちながらの書き込みです。皆さんも楽しく修養ください。 
  
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。